塩屋旧グッゲンハイム邸で録音された
原田郁子さんの新作「ケモノと魔法」が
発売されています。
タイトル通り魔法の掛かった作品
僕の名前もしっかりクレジットされていてびっくり。
吹けないトランペットを吹いたんだぜ。
僕たちの参加した作品だけ、どこかの国の現地録音みたいだ。ケモノ部門でしょうか。
塩屋での録音については郁子ちゃんがこのインターネットラジオで喋っておられます。
ついでに音楽の話を続けると
最近はMUXTAPEというネット上のサービスにはまっています。
様々なユーザーが入魂のオリジナルカセットテープのように選んだ12曲を
クリックで聴けます。(まだとても動作が不安定ですが)
たまにものすごく変で素敵な曲に出会え、音楽の世界の拡がりと深さに感嘆。
というわけで自分のTAPEも作ってみました。
中学生みたいだな。
鉄骨の加工打ち合わせに工場へ。
工場では鉄骨の部品が急ピッチで製作中。
少々スケジュールが押しているのが気掛かりです。
端部ダイアフラム-複雑な形状ですいません。
細切れにされた梁。今回の住宅では搬入経路の問題でH125の柱とH100*200の梁で構成しているのですが、少し鼻白む程の細切れさですいません。
水平ブレース取付用プレート。レーザーカットされており端部は非常に美しい。
125角のH鋼は普段あまり使わない繊細な材料らしく、手間が掛かってしょうがないと文句を言われながらも、丁寧に作業をされている様子でほんとうにすいません。

旧グッゲンハイム邸で5/30 31と原田郁子さんの弾き語りライブが行われました。
あの取り壊されそうになっていた使われていない洋館を友達の家族が買い取り、
その家で100人ほどの人を集めてのライブが行われるってのは、ものすごく不思議な気分。
金曜日は夕方から始まり、洋館の全ての扉を開け放って演奏したので、庭で寝転がりながら聴く人、ピアノの前で聴いている人、それぞれのリラックスした雰囲気で、1部のラストは本当に海からの夜風を受けつつ「海からの風」
洋館でのホームパーティーっぽい演奏はアルモドバル監督の映画TALK TO HER のカエターノの演奏を彷彿とさせる贅沢な時間。
(TALK TO HERは前述のカエターノの演奏シーンを見るためだけに見ても良い映画です。)
土曜日は昼過ぎから始まり、洋館の扉は全て閉めて曲目も代えて曲数も少なめに、演奏に集中するような雰囲気で、あとでZAKさんに聴くとピアノの配置も微妙に替えたりして響きをいろいろと調整したらしく、個人的にはこの構成の方が好みだった。
2部は両日とも三田村管打団?との「サヨナラ オハヨウ」からはじまる。
管楽器って本当に素敵だなと再確認。
ちいさな音を管楽器で出すのは本当に難しそうだったけれど、その慎重な音の取り扱いがとてもうつくしい。
今回、三田村管打団?の一員として ペ・ド・グの一員として、旧グッゲンハイム邸管理人として八面六臂の大活躍だった森本アリ君、御苦労様でした。そしてありがとう。
彼のポジティブな人柄が、今回のことを含めて小さな奇跡を起こし続けているのだと、ほんとうに思います。
随分と時間の掛かった北野町の住居2ですが、やっと着工することが出来ました。
観光地だけあって工事車輌が入るのにも、なかなか許可が下りず、やきもきしました。190mmの羽根付鋼管杭を6m*16本設置する予定です。
と思ったら1本目から転石に当たって曲がってしまう。当然やり直しだが、いきなりなかなかの難工事の予感です。
その後転石を避けたりしながらなんとか11本まで施工。スムーズに入っていくときは音もほとんど無く、精度もかなり高い。あと5本、何とか今週中に打ち終わってほしいものです。
先週は大学の少し上の先輩でもある安積朋子さんの展覧会Remains of the Lightを見にsferaへ。トークショーでは最近の活動を中心にたっぷり聴かせてもらい満足。最近のデザインの課題としてフラットパック化への試みをあげておられた。
(フラットパックというのは製品を組み立て式にして、なるべく小さく梱包し、運送コストを削減して輸送に掛かる環境負荷をなるべく減らすことを指し示すらしい。平面から立体への変形というと日本のお家芸のように思えるが、Tord Boontjeの高名な照明Garland Light なども見事に平面から立体をつくりだしている。)
フラットパック化への試みに、安積さんの最初期の仕事のひとつの特徴だった変形というタームが形を変えて出てきているのかとも思い、興味深かった。
また、最後の方に見せられた、100%design の企画展 10 X TEN project(10km 圏内で手に入る物を利用、費用は 10ユーロ 以内というプロジェクト)でのドアアイ(ドアにつける来訪者を覗くアレです)を空き缶に差し込んでピンホールカメラをつくる作品は、厳しい条件にもかかわらず詩的な答えが示されていて思わず拍手をしてしまいそうだった。
展示されていた、本物の小枝を型取りした樹脂の枝が蓄光しており、夜寝室に持ち込んで、小枝のぼぉっとした光で眠りにつくというアイデアはとても詩的で美しかったが、夜トイレに立つ際などにLEDか何かで光ってくれるとなお良いだろうにと、あまり詩的でないことを思いました。
夜中に人が近づくとぼんやりと光ってくれるLED付コンセントがありますが、そういうセンサーでいろいろと建築が反応してくれるのは楽しいような悲しいような、どう反応して良いか判断に困ります。便器のフタが自動的に開いてくれるのは、ただただ悲しいです。

東京の友人から敷地を見てほしいとの連絡があったこともあり、東京へ。
ちょうど西沢立衛設計の森山邸でマリオ・ガルシア・トレスの展覧会が行われていたので行ってきた。
敷地に部屋がばらまかれたような平面図からは、プライバシーの無い、かなり住むのに勇気の要りそうな雰囲気が感じられるのだが、実際は敷地周辺の下町からして、声を潜めなければ歩けないようなプライベートな雰囲気が漂っているので、その気配が濃縮されたような森山邸はおいそれと立ち入れない濃密で強固な私空間だった。
メディアにもさんざん露出しており、飽きるほど見ていた建築だが写真では判らないものだ。
個人的にはエアコンや照明器具を可能な限り隠蔽しているのが意外だった。
アルミサッシなどと同じくアノニマスな存在として受け入れられているのかと思ったが、他者によってデザインされたものは注意深く排除されている。
展示のあった縁側のような離れへは、1m程の高さの窓に腰掛けて入る。その身体の使い方が懐かしくも不思議な感じ。

翌日は石上純也設計の神奈川工科大学kait工房へ。まさに木立の中を歩くような体験。多目的工房としても実際に運用が開始されておりなかなか良い雰囲気で使われている。いろいろな方向を向き水平力を負担した、フラットバー状の柱と縞状にとられたトップライト。それだけに予算と労力を傾けた設計で、思ったより自然な雰囲気。真っ白で極細の柱は移動する際にぶつかりそうになるのではないかと考えていたが、意外と平気。
空間読解能力が刺激され、木立の中の小道や窪みが感じ取られような気さえする。
ただし温熱環境は最悪。床置きのエアコンが何台も稼働しているのだが既にかなり暑く、開口部は出入り口の4カ所のみ。せめてもう少し開口部があれば…と考えてしまった。植物にも過酷な環境だろう。石上氏の設計には植物が不可欠な感じで入り込んでいるが、その扱いにはいつも疑問を覚えてしまう。やっぱり空気は動いてないとなぁ。FIXガラス多用はんた~い。
ただ柱の立ち方のみに労力を傾注し、その結果得られた空間の質は革命的に素晴らしい。あ、大学の設備だから真夏と真冬は休暇で使用しないってことにすればいいんじゃないか。きっとそうだ。
先日写真家の市川かおりさんに撮影していただいた
緑が丘の住居の写真が出来上がってきました。
当日はあまり天気が良くなかったのですが、美しい一瞬をおさめて頂けました。感謝。






昨日は書き上げた勢いで長文をあげてしまったので
今日は突然趣味の音楽の話題。
数年前にアルゼンチンの音楽ばかり聴いていた時期があります。
そのころMono FontanaやJuana Molina等が新しいアルバムを発売してアルゼンチン音響派と呼ばれていました。どんなの?と聴かれてもエレクトロニカやポストロックの影響を感じさせるアルゼンチンの音楽。。とかいう間の抜けた説明しかできないのですが、アルゼンチンといえばタンゴ。位にしか知識の無かった僕には大変興味深かった音楽で、その中でも特にsebastian escofetのMeditacionesという、ドビュッシー、シュトックハウゼン、バルトーク、メシアン等の名曲を分解して再構築したアルバムは今でも愛聴しています。
久しぶりにサイトをのぞいてみたら、今まで出した全てのアルバムが無料ダウンロード出来るようになっていました。
日本では入手困難なものばかりですので気が向いたら聴いてみて下さい。
僕はやっぱり1stのMeditaciones 特に2曲目と3曲目がお気に入りです。
60代と30代の母娘のための住居。
1階はそれぞれ用途によって素材を切り替えられた床を持つ4つの部屋が、中心の開口部でそれぞれに繋がり、2階は縦方向に抜けのある天井の高い白い空間と、横方向への抜けのある天井の低い木の空間、それらが千鳥状に4つ配置されている小さな家だ。
我々は一体どうしてそのような空間を設計したのか?
まず予算と地盤の状況から木造2階建てを選択した。道路沿いに駐車場をとり、南側の古い擁壁から安全な距離をとると残されたのは6m*7mの小さな矩形だった。しかし、それは要望される部屋をすべて入れるには十分な広さではなく、しかもどの部屋も一様に重要で削ることができないとのことだった。そこで用途に対する面積の感覚を一旦キャンセルして全ての部屋を等価に扱い、全ての部屋が同じ大きさになるように真ん中で十字に仕切ることにした。
そうすると全ての部屋が2方向の外部を持ち、部屋と部屋は面積の大小による従属的な関係から解き放たれて「今居る場所」が主であり、移動すればまた其処が主であるような、そんな空間になるのではないかと考えた。
その上で、田の字の中心を開口部として建具による仕切りを加えると、部屋と部屋の関係に不思議な変化が生じた。物理的には近い筈の隣り合った部屋は壁によって遠のき、物理的には遠い筈の対角線上の部屋は視線が通ることにより近づく。我々はその、つかず離れずの対等な関係が、自立した二人の女性が暮らす家としては適当なのではないかと考え、その関係を強化しつつ部屋同士の拡がりをつくりだす為に、主な生活空間である2階レベルに次のルールを適用してみた。
「対角にある部屋の質を同じにし、隣り合った部屋の質は変えること。」
それに従って部屋の属性を調整してみたところ、こんな空間になった。

f1.f3は高い天井を持ち、ハイサイドライトにより抽象化された外部と繋がる白い空間。
f2.f4は低い天井を持ち、大きな掃出窓とデッキを持ち、周囲の風景と直接的に繋がるシナ合板による内装のトンネル状の空間。
そうしておいてそれぞれの獲得した属性に従って用途を配置していった。
南側でデッキのある属性を持つf2にはキッチンを。
その隣に位置しハイサイドライトからの間接光に満たされたf1にはリビングを。
北側だがハイサイドライトから直接光の差すf3に居室を。
北側で外部と繋がる属性のf4には家事室を配し、階段との間に書棚を設け、その裏側に小さなトイレスペースを忍ばせた。
2階では床は同じ素材として違う属性を持つ空間同士をつなげたが、1階は床の素材の違いにより部屋の属性を作り出すことにした。
そうやって我々は各部屋の距離を引き延ばしたり、近づけたりする操作を重ねていった。
では、それらの操作の結果生み出された空間とは?
リビングから寝室の方向を眺めると、内外装にまたがって貼られた木材により、離れにあるコテージか何かの中をのぞき込んでいるようにも見える。視線を移せばニッチのようにキッチンが見え、さっきコテージの外装のように見えた木材は、今度はキッチンの内装のように見える。キッチンに移動して、さっきまで自分のいた場所を眺めてみると、垂れ壁とカウンターで切り取られる向こう側の風景が、真っ白な空間に浮かび上がり、ステージでも見ているかのようだ。側方に大きくとられた窓の向こうには須磨アルプスの峰々が見えている。家事室の方に視線を移すと本棚が見え、やはり大きく取られた窓の向こうに高校生達が足早に駆けてゆく。
自分の居るところから見える様々な向こう側。すぐ隣にいるのだがとても遠いように、其処にあるのに其処ではないような、あるいは其処にあるのに此処と同じようなとても近い場所。様々な向こう側が場所を移すたびにたち現れ、近づいたり遠のいたりする。そんな小さな家。
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タト