仕事で淡路島に立ち寄る機会があったので先日亡くなられた丹下健三氏に追悼の意を表して淡路島南端、鳴門海峡を臨む大見山に戦没学徒記念館を訪れてみた。昭和42年に作られたのだが事情があって建築雑誌には発表されず、ほぼ忘れ去られていたものを先年藤森照信氏が丹下氏についてまとめた大著にて発掘されたという曰くつきの建物。震災以降閉鎖されたらしく廃墟化が進行中だ。巨匠の忘れ去られた名建築でなおかつ廃墟。素晴らしすぎる。
建築は塹壕をモチーフにしたと考えられる展示室に連続アーチの天蓋を掛け、その上を緑化して展望公園としている。いくつかの展示品はそのまま残されており、埃をかぶっている。ちなみに自動販売機の缶ジュースのストックが残されたままになっており、その製造年が1987年であったので、その頃から客足は途絶えていたのだろうか。ほの暗い展示室からはスリットを介して屋上庭園が垣間見えるのだが、それがこの展示室の塹壕性を高めている。展示室を抜けた出口の正面には銃眼を思わせるスリットが穿ってあり、そこでもう一度戦争に思いを馳せさせられ、慰霊塔に向かう
慰霊塔はコンクリートによる美しいHPシェルで、東京カテドラルの量塊感のあるHPシェルとは印象を異にする。鳥の声と自分の足音しか聞こえない静謐な空間。
傑作と言って良いと思うのだが鉄筋コンクリートは一部かぶりが少ない為あちこち爆裂破壊を起こしている。危険な状況になる前になんとかした方が良いのだが、まずはDOCOMOMO認定なんだろうか?
地中美術館に圧倒されたので「安藤忠雄 建築手法」を買って読む。
インタビュアーである二川氏の「自分が建築が好きで、建築のことを一生懸命やっていると、どんどん発想が出てくるはずだけど、何か別のことで喜んでばかりになると、建築が良くなくなってくるんです。まるで建築の味が薄くなっていくように。」との言が胸に刺さる。しかしCASA BRUTUSの地中美術館特集はいきなり見開きで写真の天地を間違えている。鉄拳制裁が下っていなければ良いが。
連休を利用して荒谷事務所の面々と地中美術館へ行ってきたのだが、久々に安藤氏の気迫に打ちのめされた。ふわふわした気分で建築をつくるな!と一喝されたような気分。最近の氏の作品にはあまり感じるものが無かったのだがこれは凄い。金沢21世紀美術館においては建築は時に透明化する(物理的な意味でなく)感もあったのだが、こちらは建築が最も力強く、タレル等の作品ですら力負けしているかのように思えた。施工側にも尋常じゃない気迫を感じる。建築も美術品なので触っても撮影してもいけないとのことだが「100年経っても角が美しいままであるように。」との説明を聞き納得。撮影に関しては「写真なんか撮ってる場合か?」とのメッセージだと勝手に了解。グラフィックも美しいと思ったら祖父江慎さん。いつもは愛らしい仕事をしてるイメージがあったので少し意外。素晴らしい体験で連休の混雑に出掛けた甲斐はあったが唯一、タレルのオープンフィールドの手摺と警告音だけが余計。「落ちたら怪我をする恐れがあります。」位の警告と同意書でいいんじゃないか。この美術館はそれでいいでしょう。
我が塩屋にも黒い家のある菅氏の住宅のオープンハウスにお邪魔させてもらう。
ものすごい豪邸で驚いたのだが、JT等建築雑誌に掲載されている住宅も1~2割程度はこのクラスの豪邸だしGA HOUSESに載っている海外の住宅はこれ以上のクラスの豪邸になる。まるっきり縁遠い世界の住宅かと思っていたがそういう訳でもなさそうだ。それにしてもGA HOUSESの海外の住宅はピンと来ないことこの上ない。一般紙であるPENの海外建築家特集の方が余程問題を共有できている気がする。
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タト