巷ではITMSが話題ですが、一年余り「買うたやめた音頭」(*1)を踊った挙句に、自分への誕生日プレゼントとの言い訳でiPod miniを購入。久し振りに音楽を携帯するのでそれだけで新鮮。
遂に完全に圧縮音楽帝国の住人になってしまった。PCのiTunesには現在18000曲-約100ギガ程入っている。いつのまにこんなことに。CCCD大流行の時にウチの古いプレーヤーがCCCDを認識しなかったので思い切ってPCに取り込んで見たら全然簡単に取り込めて。そこからあれよあれよという間にこんなことに。皮肉な結果だ。
ところでiTunesはとても便利だけど、音楽を冒涜している気分になりませんか。そうですか。
(*1)買おうと手にとってレジへ向かおうとするもやはり止めて元の場所に戻す-そんな動作を延々繰り返す仕草がまるで踊っているかのように見えるさま
DOCOMOMOの松隈さんや近所の友人達と地元のまちづくり委員会に。
実は塩屋はジェームス山という地名があることでも分かるように北野町と並ぶ異人館の産地なのだが、こちらは殆ど観光資源として収穫されなかった為、どんどん枯死している状況。そこで、まず地元の協力を!とまちづくり委員会なるものの偵察に。さてどうなりますやら。
その後、友人が設計した版築を使ったリフォーム見学/アーキフォーラムの阿部仁史の講演とハシゴ。阿部氏も仙台の倉庫街のまちづくり等を手掛けていて参考になる。
しかしまた一つ冥府魔道〔(C)子連れ狼〕に足を踏み入れつつあるような気がする。。
夏の金沢21世紀美術館は芝生が天井に映えてなかなかの美しさ。
ただコレクション展示「アナザー・ストーリー」のすべり台オブジェ (曽根裕「アミューズメント・ロマーナ」)はこの美術館の一つの側面(美術館のアミューズメント・パーク化)を如実に表していて少々微妙な。。
アートの敷居を下げよう下げようという努力がこの美術館には見られて、無料ゾーンと有料ゾーンの混在や託児室を備え付けていたり、とかく難解で高尚な現代アートを分かり易く伝えようとしている。
マシュー・バーニー展の展示室にある子供向けの解説なぞその際たるもので、(そんなことして変態に目覚めたりしないのか心配ですよ)その結果ここでは「アートとアートを見ている人達と私」という風景がこの美術館の存在を素晴らしいものにしているといえる。
好対照なのは地中美術館で、あの場所はその厳しい入場者制限からも分かるようにアートと1対1で対峙することが求められている。
どちらが優れているというわけでは無く、お互いキャラが立っていて素晴らしいと思います。
さて、来年7月に開館する予定の青森県立美術館はどうなっているだろうか?
芝生の金沢21世紀美術館も美しいよ。との声を信じて急に金沢へ。
スターウォーズepisode3を見るような気分でマシュー・バーニーの映画でも見ようかと。
—思ったら前売り買ってなかったので満席で危うく見れなくなるところに。幸い補助席がいくつか出されて無事鑑賞できた。金沢はどこに行ってもホスト精神が満ちているような気がしていたが、更に好感度がUP。マシュー・バーニーの映画は思ったより悪趣味でも無く、一種のSFとして面白かった。
2時間半もある大して抑揚も無いストーリーは、美しい儀式のシーンを見ているうちにあっという間に過ぎる。(台詞の殆ど無い映画でこんなにも眠気を誘わないのは初めてかもしれない。)映画は、捕鯨と茶道をモチーフに、日本文化を結構リサーチしたうえで変身と転生の神話的ファンタジーをつくりあげていた。以前はもっと変態的な印象を持っていたのだが、ビョークの愛で前向きな変態になったのだろうか。実際最後のラブシーンではビョーク様にリードされすぎですよ。先生。
捕鯨に関しては文化として捉えられていて西洋的な視線とは一線を画しているように思えた。あまり関連資料を読んでいるわけではないのだが最初は門前払いだった環境庁にプロットを送り続け、最終的には日新丸(捕鯨船)をまるまる使わせてもらえたとのこと。捕鯨文化の持つアニミズム的側面を知らしめる良い機会なのか、悪趣味なセンセーショナリズムと捉えられるか微妙なところだけれど。
「拘束のドローイング9」に関する展示は映画では表現し切れなかった部分が伝わる相互補完的な存在に思えた。
一人で出掛けたのだが金沢で友人に出会い、更に友人の建築家、荒谷氏のblogで同じ日に金沢に行っていたことを知り、改めてニッチな集客力に驚く。そういえばアトリエワンの塚本さんやマヤマックスさんもうろうろしてたな。
夏の21世紀美術館の感想は後日。
しまった。ライジングサンにfishmans(復活?)が出てた。。
佐藤くんのいないfishmansがどのようなものか想像も付かないが
聴いてみたかった。。
仕事を早めに切り上げて心斎橋でアレッシのTEA&COFFEE TOWER展を見る。世界の建築家によるティーセットの提案。
写真はSANAAのもの。銀色のフルーツバスケットのように仕立て上げられたティーポットやシュガーポット。それぞれに反射を繰り返していてシャンデリアのようでもあり、単純に草間彌生的でもある。399万円。(高!)意外にも伊東豊雄の作品が最も良かった。丸い盆の上にひろげられた食器類のそれぞれにちょこんと小さな蛙がついているだけという、肩の力の抜けた感じが素敵。海外の建築家、それも新奇な形態を追い求める人たち、例えばザハやモーフォシスの作品は殆ど日本のオタク系の造形センスと繋がっている。村上隆でなくても、「日本のガレージキットを海外のアートシーンに持込んだらどんなことになるか?」と夢想するだろう。
その後 グラフmedia gmで神戸在住のタイ人漫画家ウイスット・ポンニミットの展覧会に。
うーん。グラフはいつも展示空間で面白い提案をしようと頑張っているのだが、いつも微妙な感じを覚えるのは、芸大時代に散々こういったチャレンジは見たからか。それでちょっと文化祭を思い出すからか。ポンニミットの絵はスキだけど。って感想は偉そうですか。そうですか。
北野町の住居1が8/20発売の扶桑社「新しい住まいの設計10月号」P38~43に掲載されています。竣工時とは違う、緑豊かな写真が掲載されていますので是非御覧下さい。
事務所の裏庭は急斜面に面している為、昨年県が擁壁工事を行い植生を一掃してしまったのだが、その生態的空白がどうなるかと思い観察していると(=ほったらかしにしていると)最初に入り込んできたのは桐とアカメガシワで、ここ2ヶ月ほどであれよあれよと2m程度まで生長した。桐は生長が早く、昔は娘が生まれると庭にキリを植えて、その女の子が嫁に行く頃にその木からタンスなどの家具を作って持たせたそうだが、さてどうしたものか
少し調べるとこういった木々の事を先駆樹種(パイオニアプランツ)というらしく植物の戦略が見えて興味深く、実際に裏庭で見るのも壮絶な陣取り合戦の様相で面白い。まぁ面白がっているうちに、この小さな家が森に飲み込まれてしまうので僕もそのうち、この陣取り合戦に参入しなくてはいけないのだが。
先日UPした豊富町の住居の第1案と第2案の間にはある断絶があるのだが、それには訳がある。今回は僕の案と平行してスタッフのO君にもいくつか考えてもらっていたのだが、その模型を色々弄んでいるうちに変な形で置いてみるとしっくり来た。そこから素敵な部分を抽出して第2案へと飛躍したのだ。自分だけで案を発展させていると、進化が直線的になってしまいがちなので、こういう刺激があると本当に助かる。
こういう時期をアイデアのカンブリア紀とひそかにに呼んでいて、使えるかどうかに関係なく、なるべく様々な案を爆発的に出して敷地のポテンシャルを探っていくことにしている。現在は第1案と第2案のいいトコ取りを模索中。
敷地の高低差を生かすこと、土工をなるべく減らすことを主眼に建物を敷地の中央に寄せて周囲に触手のように部屋を伸ばす案。斜面をまたぐ水廻り部分等、魅力的なスペースが発見できた。予算に合わせてかなり面積を削ったのだが、もう少し拡げる案を作成してみることに。
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タト